優しい人になりたいと思って、いろいろなことを考えている。
自分は、本当に優しい人には成れていないのだと感じる。
本当に優しい人と自分の違いはなんなんだろう。
本当に優しい人を見ていると、困った人や苦しい人を見たときに、反射的に共感し、「こまったね」とか「くるしいね」といった共感の言葉を投げかけ、心からの興味をもって「どうしたの?」と聞いているように思う。
そこに理屈や言語の介在はほとんどなく、感情として他者に寄り添っているように見える。
翻って私は、困っている人を見るとまず原因を考えてしまう。そして原因がその人にある場合、感情的には共感できない。でもこの社会で人間関係を築きながら生きていく以上、共感と共感と傾聴は必要不可欠だと、理屈では理解している。だから、共感したことを表す言葉を口に出し、傾聴しようと試みる。
しかし心がこもっていないので、すぐに見透かされる。
上辺だけの優しさだと勘付かれでしまい、それでも相手は礼儀として感謝の言葉を返してくれるものの、それもまた表面的なものであることを私は感じ、一連のやりとりに有る種の虚無感を感じる。
言い換えれば、優しさをハードウェアで備えた人間と、ソフトウェアエミュレートしている人間の違い、とでもいうのだろうか。
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