2014-07-19

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2014-07-01

仕事帰りに出発、4泊5日で楽しむ福岡長崎天草雲仙熊本大満喫コース

1日目夜
屋台ラーメンorもつ鍋
ホテルサンライン福岡goo.gl/xMEbGI

2日目
朝からラーメン食ってからレンタカー
吉野ヶ里遺跡
皿うどん
稲佐山夜景観光
福の湯稲佐山
おいしいごはん
チサンホテル¥7000

3日目
AM 軍艦島
ちゃんぽん
長崎観光
島原方面へ
ペンギン水族館
日本一長い足湯
小浜温泉春陽館http://www.shunyokan.com
  部屋食温泉蒸し¥23100

4日目
雲仙観光?
 雲仙ビールカレー http://www.yuagari.jp
 雲仙ロープウェイ
 地獄めぐり
雲仙から熊本へ
フェリー
日産レンタカー熊本駅前店
熊本ステイ

5日目
熊本城






カンボジア前半

逗子人のカンボジア旅行記1

 夜の風は日に日に冷たさを増し、今回の目的地を睨んで軽装の私はポケットから手を出せずに歩いた。深夜1時、羽田空港からのバンコク行きに乗る。逗子人の海外旅行に便利な時代がきたものだ。用意した日程は5日間。暑い国の訪問に大きな荷物は必要ない。デイパック一つを機内に持ち込み、映画も機内食も忘れ、ただ明日からのハードスケジュールに備えて睡眠をとる。
 早朝、まだ暗いスワンナプームに着陸する。バンコクでの乗り継ぎは6時間ほどだ。一度市内に出ることも考えたが、洪水がどこまで交通機関を乱しているかわからない。出発まで大人しく空港にとどまる。
 翌朝のバンコク航空でシェムリアップへ。独占路線だけに運賃が高止まりしているが、陸路で10時間かけての入国と天秤にかけ、今回は空路を選んだ。割安な航空券は出回っていなかったため、正規割引で購入をした。結果として、スワンナプームでのラウンジ利用ができた。乗り継ぎの間に食堂でパッタイを食す。うまい。

 シェムリアップに到着間際、なんとか覚醒して、遠くの方に寺院らしきものを眺める。せっかくの窓側の席を十分に活かしきれなかった。飛行機をタラップで降りると、徒歩でターミナルへ移動する。空港でまずはビザの取得を。左端のカウンターでパスポート、入国カード、証明写真、申請費用20ドルを渡し、横に並んだ係員がそれらを右へ右へと渡して処理を進めてゆく様を眺める。最終的に右端のカウンターで名前が呼び出され、無事に貼り付けられたビザを受け取る。今回は写真を用意してきたが、写真がなくても5ドルほど余分に払えばビザをいただけるらしい。

  ネットで見つけたゲストハウスの名前は、THE CITY。1泊2ドルのドミトリー宿泊でも空港送迎を無料でつけてくれる、非常に良心的なゲストハウスだ。その上、日本語を話すオーナーが常駐し、水のリフィルも無料だそうだ。都会的要素が一つも無いであろうことは想像に易いが、この際そんなことはどうでもいい。到着ロビーを出ると、私の名前を持ったカンボジア人が迎えてくれた。
 トゥクトゥクに乗り込むと、生暖かい風と舞い上がった砂埃が交互に顔を舐める。先進国の規制に追いやられてやってきたディーゼル車は喜びの黒煙を上げて走っている。東南アジアにやってきたことを実感する。
 30分ほどで到着した宿は、黒と緑が基調のリゾートの匂いのする建物だ。前庭には木漏れ日に照らされたビリヤード台も置いてある。ほどなく主のMr.ベンが現れ、説明をしてくれた。ドミトリーの仲間は、中高年の台湾人のおばさんと、私と同世代の上海の女性であった。部屋に入るなり歓迎の会話が始まる。2人ともおしゃべりが好きなようだ。生乾きの匂いが残り、日本に照らせばおよそ快適とは言えない部屋だが、「2ドルにしては」という前置きをつければ十分に快適な宿だ。2段ベッドの下段に荷物を広げ、2晩の居所を確保する。
夕方には他に3人の日本人がチェックインする予定で、男性1人旅と、母子の2人旅だから、皆で一緒に夕食に行けばいいじゃないかと提案を受けた。

ぼんやりとしか予定を立てていなかった私は、ひとまず街中へ出る。レンタル自転車も、1泊2ドルに含まれている。いまにもこわれそうな自転車は、前輪のブレーキが全く効かなかった。景色を眺めながら走るスピードにブレーキは必要ないと割り切り、市場や民家沿いを、足を着けば止まれる速度で走った。原色鮮やかな市場は活気が溢れ、未舗装路に並ぶ民家では犬と子供が遊んでいる。気づけば昼食の時間となり、食事を兼ねて一緒に観光する仲間を探すため、日本人がよく訪れるという、タケオゲストハウスに併設されたレストランに向かうことにした。
ゲストハウスに近づくと早速日本人らしき女性とすれ違った。軽く挨拶を交わしてからレストランを覗くと、日本人男性が食事をしていた。昼食をご一緒しながら話をすると、彼は風邪を引いてしまい、宿に引きこもっているところだという。そして、先ほどすれ違った日本人を含め、数人がこの宿を訪れ、同じく仲間を探していて、宿の宿泊者も戻ってくるであろう9時ごろに再集合すると言う情報を得た。ひとまず夜までは独りで廻ることになりそうだ。

昼食を終え、せっかくだから自転車でアンコールワットでも行こうかと考えながらぼんやり走り出すと、並びの貸し自転車店に日本人とおぼしき人影を見つけた。この人も自転車でアンコールワットにいくのではないか、その読みは的中し、2人で7km先のアンコールワットへ向けて走り出した。一人では確実に心細く、またさみしくなる距離であり、仲間ができたのは本当にありがたい。自転車に乗りながら会話は弾み、話している間にアンコールワットに到着した。そこから小回りルートを進み、タケオ、バイヨンなどを回る。再びアンコールワットに戻るころにはすでに20kmほど走っており、もともとボロかった自転車に異常が現れ始める。後輪がギシギシと音を立て、アンコールワットから街中へ戻る道、25kmほどの地点で、ついに後輪が動かなくなる。シャフトが折れたようだ。
16時にはホテルに集合しなければならないという同行者と別れ、独り自転車を押しながら宿へ向かうが、その重さに途中で断念し、バイクタクシーに無理やり自転車を載せてもらって宿まで戻る。ベンさんに事情を話したところ、修理代は、元々壊れかけだったと言うことで免除していただいた。

残る2台のうちの1台を再び借りて、またブラブラと街に出る。すると、昼にタケオゲストハウスの前ですれ違った日本人女性の姿が見えた。
せっかくなので夕食に誘い、今日の夕食は私、シオン君、タロウとタロウママ、5人でとることになった。
タロウママの提案でBBQ食べ放題の店にはいると、ジンギスカン鍋としゃぶしゃぶ鍋の合いの子のような鍋をつかうスタイルで、生焼けも防げてスープに出汁が出て一石二鳥の美味しさだった。日本でもこのスタイル流行らないだろうか。スイーツもココナッツミルクが効いていてなかなかおいしい。夕食後はナイトマーケットに繰り出し、9時には再びタケオゲストハウスを目指す。

南米⑤ ラパス〜ウユニ

11/25ー2

Todo tourismo社の百歩進んだサービス

今までの登場人物:イワン、アレハンドロ、ラパスのエージェント

6時から7時にくると言ったラパスのエージェントが7時を回ってもこない。イワンに電話してアレハンドロの番号を聞き、アレハンドロに電話して状況を聞く。あと20分でつくから。そう言われ、国際電話代15ボリを払い、さらに20分待つことに。そして25分経過。もう7時半だ。そろそろ別のバスに乗るにしてもタイムリミットだろう。もう一度2ボリかけて電話した先は、まさかの留守番電話。耐えかねてエルソラリオを出て、Todo tourismo社を目指す。昼に一度訪れておいてよかった。道中、クロックスもどきも入手。25ボリ。9時発のバスだ。まだまにあうだろう。アレハンドロに払った32ドルは戻ってこないが、授業料だと考えよう。

そして到着したtodo tourismo社のカウンターでさらに問題が発生する。居合わせたエージェント2人はスペイン語しか話せず、なんとか状況を聞こうにもなかなか難しい。今日ウユニに行きたいんだ。なんとかなるか?という気持を伝えようと精一杯頑張った。しかし、エージェントの背の高い方(ルイージ)は今日はダメと言っているようだ。満員ではないが、ごにょごにょ、と言っている。9時発ではなかったのか。まだ1時間はあるぞ。背の低い方(マリオ)は、いけるからパスポートごにょごにょ。と言っている。なんとかなるならぜひよろしくたのむ!という顔をしたが、ルイージは、いや無理だ的なアクションを見せる。マリオがルイージにごにょごにょすればごにょごにょで行けるだろ!と言う。ルイージが電話をかけはじめる。マリオが予約システムを立ち上げる。ルイージが電話を私に渡す。電話の相手(キノピオ)はすぐタクシーに乗れと英語でまくしたてる。タクシー!?なぜ!?バスは何処に!?電話しながらマリオにパスポートを渡す。キノピオはおそらくタクシーで向かうべき場所を言っているが、まったく何処だかわからない。ルイージが料金を請求する。ドルで支払う。何一つ理解できないままルイージに携帯電話を戻す。すぐ行くから的なことをキノピオに伝えているようだ。マリオはチケットの発行が終わったようだ。走れ!的な顔をしたので、マリオと一緒にオフィスを出る。かなり無茶をしてくれている様子がひしひしと伝わってくる。なんとか今日の便に乗れるようだ。すでにサービスとして18歩ぐらい進んでいる。

そしてタクシーを拾う道へと走るわけだが、ここは標高3600m。これはヘビーな高所トレーニングだ。という気持ちが顔に出たのか、マリオがスーツケースを抱えてくれた。これは1歩進んだサービスだ。マリオがタクシーを捕まえ、30ボリビアーノだけどいいか?的な指信号を送ってきたので了解の意思を伝えると、なんと、マリオも一緒にタクシーに乗ってくれるではないか!なんということだ!また27歩は進んだぞ!タクシーは高速道路を飛ばす。状況が見えてきたぞ。。。バスは9時発の予定だったが、なんらかの事情で早発したのだろう。そしてマリオとルイージは出発したバスを待たせ、タクシーで追いついて私を飛び乗らせてくれようというのだ。

。。。

とんでもないサービスだ!むしろ、すでに乗っているお客様に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。一気に37歩前進した。遠くに見えるラパスの夜景が感謝の涙で滲む寸前、前方に止まっているTodo tourismoのバスがくっきりと目に入った。

運転手、控え運転手、パーサー、スタッフ3名総出という3歩進んだサービスで出迎えていただき、車内へと案内された私は、英語の堪能なパーサーに、遅れてきやがって面倒な奴め、といった感情を微塵も感じさせない穏やかな語調で到着時間の説明を受け、こうしてゆったりと日記をつけている。このパーサーがきっとキノピオだったのだろう。キノピオ、実はマーフィー似のイケメンだったんだな。食事を出す立ち居振る舞いといい、さらに14歩は進んだよ。少し背が低いけれども。

というわけで、Todo tourismo社のおかげで無事ウユニへ向かえていることに感謝しつつ、前の席の西洋人カップルが窓を開けていてウルサい臭いのを我慢しつつ、通路を挟んで隣の50代の男性が、たまたま隣になった若い女の子に旅の写真を見せながらしきりに会話しているのを微笑ましく眺めつつ、iPadを閉じて眠りにつきます。アディオスアミーゴ。

南米③ マチュピチュ村〜クスコ

11/23

チェックアウトが9時なので8時に昨日と同じメニューの朝食を取り、荷物を整理してフロントに預けて、ひとまず温泉を目指す。昨日宿のにーちゃんに聞いた情報では、朝一が一番お湯が暖かいらしい。温泉への遊歩道はさながら箱根か伊香保のようだったが、水着で混浴の温泉は遊歩道から丸見えだった。
朝イチは暖かいとはいえ、お湯は37度ほど。長く浸かっても芯から温まる感じがしない。日本の温泉文化と技術をぜひ持ち込みたい。入浴中も、遊歩道を往く修学旅行生が写真を撮る。

さっぱりした後は土産を買いにマーケット的なところを練り歩く。値切りの技術が必要な買い物はスリリングで面白い。余計なものまで買ってから昨日予約をすっぽかした店でかなり美味しい昼食を取り、時間ギリギリで急いで列車にかけこむ。インカレイルのすこし高級な列車に乗ったが、椅子は狭く乗り心地は昨日のperurailのexpeditionと変わらなかった。飲み物とお菓子が出る分にしては差額が大きいと思う。

オリャンタイタンボでバスに乗り換えるところまではかなり順調に過ごして来たが、クスコに到着したころから、旅の雲行きが怪しくなり始める。まず、バスを降りたらイワンが居ない。バス運転手に聞くと、すぐそこいオフィスがあるから行けばいいと言う。降りて探すが、イワンのオフィスはない。別のツアー会社に入り、イワンに電話してもらうが繋がらない。仕方なく書類に書いてある住所までタクシーで行くことを決意。ツアー会社のおっさんが交渉してくれ、5ソルでこの住所まで行く、と言っている。
タクシーは走り出し、かなり遠くまで来たところで、運転手まさかの道に迷う。この辺のはずだ的な表情をしているが、ただの住宅街だ。オフィスは見当たらない。イワンに電話をかけてみてくれと頼んだが、運転手の電話はチャージが切れてる的な表情をされ、電話を借りるから5ソルよこせと言う。こんな遠くの住宅地でただ降ろされてもたまらないのでひとまず電話代を出し、イワンに電話する。1度目、繋がらない。焦りと残念感が漂う中、2回目のコール。

イワンにつながった。セントロのカテドラルの前で待っててくれと言われる。タクシー乗る必要なかった。タクシーにはセントロまで戻ってもらうが、その道中、往復20ソルだと抜かしやがる。走った距離的にはそれくらいかもしれないが、最初は片道5ソルと言っていた。しかも運転手は住所にたどり着けなかった。喧嘩して途中で降ろされたらたまらないので言葉を濁しながらセントロ到着を待ち、近づいたところで文句を言ったが、気の弱そうな運転手もまぁ道に迷いながらも頑張ってくれていたので、往復10ソルで双方手を打つ。

カテドラルについたが、またもイワンの姿はない。南米の僻地で今頼れるのはイワンだけだ。暗くなって来た公園で待つこと十数分、タクシーから現れるイワン。イワンの名を叫ぶ3人。会いたかったよ、イワン。なんて風格があるんだイワン。着てる物が一味ちがうぞ、イワン。イワン。

無事イワンと合流し、ここで別れる友人が泊まるホテルはとても綺麗で快適そうで、夜行バスでプーノに向かう私はバスの時間に間に合うようにまたカテドラルでイワンに拾ってもらう約束をして、クスコの石積みを観光しながら夕食に向かう。名物の中でまだ食べて居なかったクイを食べようと、客引きと交渉してレモネードをサービスしてくれる店に入る。まずは見た目に驚き、食べてみると鳥肉のようだった。悪くない。
再びカテドラル前でイワンを待つ間、一人旅の日本人女性と出会い少しお話をして、先ほど同様颯爽と現れたイワンに連れられてバスターミナルへ向かう。堀江と本田とはここで別れる。
ターミナルについてからもバスまでスムーズに誘導してくれたイワンにお礼を言って、2階建バスの2階1番前の窓側という最高の席で寝る。なんていい席を確保してくれたんだ。頼りになるぞ、イワン。

南米② マチュピチュ

11/22

パンとジャムとバナナの朝食を7時に取り、8時すぎのバスで遺跡を目指す。バス往復料はイワンツアーに含まれている。雨が降る中、未舗装のヘアピンを30分ほど登ると、遺跡入口に到着した。
ここからは感心と感動と満足感の連続だった。昨日の教訓から、はしゃぐ気持ちは理性で抑えた。トイレは入り口にしかないのでしっかり出し切ろう。

9時を回ると立ち込めていた霧がどんどん晴れて来た。10時にワイナピチュ登頂の順番が回って来るころにはすっかり晴空が広がる。順番を待っている間、現地の修学旅行的団体に声をかけられ、なぜか次々と女子高生が横に立ち、一緒に写真を撮る。こんな人気は始めてだと語り、最初は嬉しいが10人目くらいから面倒になるのだということを知る。
いよいよワイナピチュに入場し、見あげただけでウンザリする絶壁を、1時間ちょっとかけてなんとか登り切る。頂上で1時間ほど景色と撮影を堪能し、ワイナピチュ下りの恐ろしさを知る。崖下を見下ろしながら下るのがこんなにチン寒だとは。

遺跡に戻り、後半を観光し、せっかく晴れたのでもう一度見張り小屋からの景色を撮影して、リャマと戯れた後にマチュピチュ村に戻る。
バスを降りるや否や、またも撮影リクエストが舞い込む。アジア人の人気がハンパない。1日潰れる気でいたが、3時には村に戻って来た。では、今日村の観光も終わらせ、明日の列車を午前中のものにすれば1本早い飛行機に乗れるかも、という代替案を思いついたため、宿のおにいちゃんに相談した。一緒に駅のカウンターに行ってくれたりイワンと電話をつないでくれたりしたものの、列車満席の由に依り旅程変更は断念した。

夕食の予約を8時半にとったり村を歩いたり、雨に降られたりマチュピチュ村まで歩いて来た日本人に会ったりした後一度宿に戻り、ちょっと疲れたので横になったら時刻は9時を回っていた。レストランの予約をすっぽかしてしまった。申し訳ない。軽くお茶でもということで夜のマチュピチュ村に繰り出し、リストランテでお茶とプリンを頂きながらジェンガに興じた。ピースがいびつなおかげか、おそらく人生最高記録を叩き出した後、本田の地味な崩壊で幕を閉じた。崩れたジェンガでドミノをやって、1時間1000円ほどのマッサージの勧誘をギリギリで断って、宿に戻って今日もぐっすり寝た。

南米① リマ〜マチュピチュ村

11/21

早朝リマに到着。さあここから今日中にマチュピチュ村までたどり着かなければ。到着ロビーには大量のツアー会社が並んでいるわけだが、その中でたまたま目が合ったおっさんにコミコミでいくらになるか聞いて見る。交渉の結果、オリャンタイタンボ駅までの道中のタクシー観光と列車往復に、マチュピチュ村2泊とクスコに戻ってからの1泊をつけて1人180ドル。ケチ的発想では高い部類だが、3人だし面倒なのやだし即決。マチュピチュとワイナピチュの入場料は日本からカードで決済しているので含まれていない。おっさんの名前はイワン。この時点ではまだ、あのおっさん金持ち逃げしないかなーなんて話をしていた。

イワンとタクシーに乗り、薬屋でアセトなんとか250mgの錠剤を買ってクスコの中心へ。歩き方にのってた日本語メニューのレストランは予想より美味しく、セントロの教会は壮大であった。
未だ残る持ち逃げの不安をよそに、ちゃんと教会の前に迎えに来たイワンから列車のチケットを受け取り、タクシーでオリャンタイタンボを目指す。

道中の遺跡や塩田はどれもスケールが大きくはしゃいでしまうが、テンションが上がった瞬間酸素が足りなくなり、爪の先が紫になり風船を膨らましたあとのようなクラクラが来る。標高、あなどれない。はしゃぐ私をよそに、友人は車酔いに苦しんでいる。観光を入れて3時間ほどでオリャンに到着した。

すこし街中を歩いて土産を買い、まずいチーズサンドに騙されてから電車に乗る。外は真っ暗で何も見えないが、向かいの席のメキシコ人と幼児教育や教師による虐待の話題で盛り上がりながらマチュピチュ村に到着した。僕の名前の看板を持って待っていたおにいちゃんを追って坂をガンガン登った先に、2泊の宿LOS ROCASがあった。部屋はそこそこ綺麗で、お湯もたっぷり出た。長い移動で疲れたので晩飯は食べずに寝る。

モロッコ旅日記

カサブランカ空港到着後、電車でマラケシュへ。
カサボヤージュでiphoneのGPSを駆使してなんとか乗り換えに成功する。
空港ーカサボヤージュ40DH。さらにマラケシュまで90DH(2等車)。
カサボヤージュでの乗り換えの待ち時間に、
公衆電話から、日本人が経営する宿house13の予約を取る。
電話がいきなり「もしもし」だったのでホッとした。
Wifiをつかまえたので実家にも電話をいれておく。

電車内で、いきなり環境音を録音し出した不思議な女性を発見した。
声をかけてみたら、ショートムービーを作るために列車の喧騒を録音していたらしい。
職業はムービーディレクター兼写真家で、
友人の結婚式でカサブランカに来ていて、ついでに素材集めだそうだ。
ちょいちょい身の上話をしながら4時間近く電車に揺られ、マラケシュ駅に到着。
2人でつかまえたタクシーにいきなりボラれる。
駅からフナ広場まで50DH。さらにホテルまで30DH。マラケシュ怖い。
タクシー代は俺が出すから今度写真をくれ、と言ってみる。
メアドは交換したが果たして本当に写真は送られてくるだろうか。

宿「house13」はかなりわかりにくいところにある。当然迷う。
道端のおばちゃんに道を教えて貰ってなんとか到着。
アラビア語じゃお礼も言えない。

宿は日本人女性数名でやりくりしていて超アットホームな雰囲気。
明るいパティオにタイル張りのモロッコ建築が素晴らしい。
たまたま居合わせた日本人の子2人と一緒に翌日のバスチケット購入&散策へ。
迷路のようなメディナの中を、マラケシュ2日目の子の先導で歩き回る。
土産購入は価格交渉が必要。
ラクダの置物20DHと、モロッコグラス6つで70DHを購入。
粘ればまだまだ値段は下がるらしい。

夜はさらに日本人を1人加え、モロッコ在住の関西のおばちゃんの家でモロッコ風フレンチとモロッコワインの夕食。
宮殿のような邸宅で上品な料理をいただく。175DH。
モロッコに来てまで食べる料理でもないような気はするが、
11年に及ぶモロッコ暮しの貴重な体験談を聞かせていただけたのでアリだと思う。
さすが大阪出身、話のすべてにオチがある。すごい。
20代でタイとバリを往復しながら衣料の貿易商を始め、
フランス人の男性と結婚し、現在単身モロッコに住んでいる。
なんとパワフルなおばちゃんだこと。

宿に戻り、4人で深夜まで語る。
かたや、絨毯作りの修行のため、あまり気乗りしないがモロッコへ来て、1週間モロッコの村に滞在していた人。
かたや、フランスで1年間の農村料理修行中、長年温め続けたモロッコ旅行を実現した人。
そして、会社をやめ、3年間の海外旅行生活二十数カ国目がここモロッコだという人。
さすがディープな国にはディープな面々が集まる。
ただの会社員の休日でで申し訳ない。
宿は1泊120DH。安宿の相場の倍だが、
清潔さと、日本語で情報が手に入ることを考えればまだ安いと思う。
ここでもらえるマラケシュMAPは本当に使える。

翌日。
皆でhouse13の朝食をいただく。30DH。
朝から王宮、博物館、史跡、モロッコ建築、伝統工芸館など歩き続ける。
途中、博物館を出たところで革鞣し職人地区のガイドに捕まる。
ちょっと興味があったので着いて行くと、
正に革を処理している現場を案内してくれた。
そして最後にこうなる、と連れてかれたのはただの革製品屋だったが、
せっかくなのでバブーシュ(革スリッパ)を購入。
案内料も考えてちょっと高めの100DHで買ったが、
結局ガイドにもせびられて50DH渡してしまい、
金をばらまく日本人になってしまった。断る勇気。

夕方は疲れた体をハマムとマッサージ90分330DHで癒す。
技巧を凝らしたモロッコ建築の中、
泥パックや垢すり、オイルマッサージ、タオルやお茶もセットで、
優雅だわ。

ハマム前でまた昨日のメンバーと待ち合わせ、夕食はフナ広場の屋台へ向かう。
宿で教えてもらった屋台は期待通りまったくハズさず、激安でモロッコ料理を堪能。4人で100DHちょっと。
途中、ipadを出したら人だかりができる。

広場の横の建物の屋上のカフェでジュースを飲みながら、
夜がふけるほどに騒々しさを増すフナ広場を眺めて、宿へ戻る。
今晩からはさらに日本人の女性が2名宿泊するようだ。
お互いの旅の幸運を祈り、別れ、バスターミナルへ。
house13の東側の門からCTMまでタクシー30DH。
夜行バスで、海外旅行3年目の男性と共にフェズへ向かう。
フェズ経由シャウエンまでの運賃225DH。

後半へ続く。

フェズでバスを乗り換えるのだが、3時間ほどあったので街へ。
タクシーは片道15DH。
世界最大の迷路と言われるスークをチラ見して、
王宮の庭園のカフェでちょっと高級な朝食40DHを取り、
再びバスターミナルへ戻ると、日本人に出会う。

2人の男性、片方は同じくシャウエンへ、もう一人はタンジェまで行くらしい。
バスでシャウエンヘ3時間。

シャウエンに着いたところで、翌日のバスを調べる。
CTMは午後しかないので、民営バスを計画する。
3人でタクシーを拾いメディナ入り口のバベルアイン門へ。15DH。
タクシーを降りてすぐ、宿HOTEL SOUIKAの客引きにつかまり、
せっかくだから中を見せてもらうと、かなり良い雰囲気。
トイレも洋式、温水も出る、3人部屋で200DHということで、
他と比べる手間を惜しんで即決。

荷物を降ろし、すぐに散策に出かける。
シャウエンのメディナはこぢんまりとしていて、
起伏が激しいながらも徒歩で十分回れる広さだ。
まずは広場をめざし、そこから東へ。
谷を流れる川の源流たる滝を眺め、北へ。
5,6人のガキどもと戯れ、iphoneを壊されそうになりヒヤヒヤし、
斜面の頂上から見える街と山並みに感動し、
お絵かきをしていた女の子のスケッチブックにドラえもんを描き、
あまりにも美しい壁や階段に誘われれるがままに細い路地を抜け、
再び広場に戻ろうかというところで、オレンジジュースを1杯。
マラケシュの屋台では4DHの生絞りジュースだが、
シャウエンでは8DH。
ゴネると、マラケシュは氷をいれるがここは100%だから高い、と言う。
そう言うならと飲んでみると、確かに美味かった。

ここでフェズから合流した彼がトイレを借りる。
すると、トイレの横に最高に雰囲気のいいテラスを発見。
レストランもやって居る上にコースも40DHと安め。
いったん店を出てすこしブラついたあと、
戻って来て食事をとった。

この店のタジンとクスクスが最高に美味かった。
店の名は、RESTAURANT ASSAADA。
センス抜群のアヒルの看板が目印。

夜も一回り街を散策して、宿に戻り就寝。


翌朝、2人と部屋で別れ、私はセウタへ向かう。
CTMターミナルまでのタクシーは15DH。
民営バスでセウタまで30DH。
ターミナルの売店でチーズとオリーブのサンドイッチとオレンジジュースの朝食22DHを摂り、
バスに乗ると、荷物代と称して金を要求される。
経由地ティトゥアンまでとセウタまでそれぞれ10DHで20DH。
高くないか!?
しかし面倒なので払う。
払ってしまうから、また次の日本人も請求されてしまうんだろうなぁ。
ごめんなさい。

ティトゥアンでバスを変え、到着するのはセウタより2,3キロ手前の村。
タクシーで15DHで国境まで行き、徒歩でスペインへ。
両替屋を探していると、俺が両替してやるという男に遭遇。
400DHを34EURにした。レートは微妙。

国境前のバス停でバスに乗り、0.75EURでセウタ中心地へ。
バスをすこし早くおりてしまい、
フェリーターミナルを探して20分ほど彷徨い歩く。
黒人だらけの港をビビりながら歩いてなんとか到着し、
アルヘシラスまで35分のジェットフェリー35.5EURに乗る。

しかし国境を超えてからと言うもの、街並みは完全にヨーロッパだし、
スペイン語しか通じないし10DHで道案内してくれる若者も居ないし、
スペイン語辞書かガイドブックぐらいもってくればよかったと痛感した。

フェリーが出港し、アフリカ大陸を離れる。
三浦半島ー房総半島のフェリーと同じ時間で、
アフリカ大陸ーユーラシア大陸へ移動する。

アルヘシラスへ上陸し、ラリネア行きのバスはどこか聞くが、
返ってくるのはスペイン語。
雰囲気で10分歩いて駅を見つけ、駅員さんにまたバスを聞いて、
駅の向かいのバスターミナルへ。
SALIDAって出発のことで良いのかという疑問を抱きつつ、
その時間まで時間を潰すべく入った売店で運命の出会い。

パエリア(5EUR)がうまいのなんの。
時間があればもう一皿いきたいところだったが、
バスが来てしまったのでラリネアに向かう。2.10EUR。

ジブラルタルにくる頃には疲れきってホテル探す元気もないだろうと、
日本出発前に72EURのそこそこのホテルを予約していたのだが、
着いてみたら意外と元気だった。
Asur Hotel Campo de Gibraltar。
予約取らずに来ればもっと安い宿が探せたかもしれない。後悔。
まぁ、部屋は2部屋あるしテラスからの眺めは最高だし、
1人で泊まるのはかなり淋しい点を除けばいいホテルだと思う。

チェックインを済ませて、徒歩でジブラルタルに入国。
入国直後に待って居るのが、今回の旅の裏メインイベントといっても過言ではない、
滑走路を徒歩で渡る道路。
踏切がついていて、その横には看板が。
「あなたはこれから、運用中の滑走路を歩きます。
ゴミを捨てると重大な事故に繋がります。
その飛行機にあなたが乗るかもしれないことを、
忘れないでください。」
なんとも心に訴える看板だ。

ジブラルタルの街並みはただのロンドン。
ただ、日差しはアンダルシアなので、
映画で見るロンドンの薄暗いイメージは無い。
軍隊のイベントに出くわしたりむちゃくちゃブリティッシュな老人に会ったり。

明日は時間があればロープウェイに乗ろうと料金を調べ、宿へ戻る。
1人バルコニーで暮れ行くジブラルタルを眺めつつ日記を書く。
なんだかんだモロッコに来てから毎晩誰かと一緒にご飯を食べて寝ていたことが、
とても有難いことだったんだなぁとしみじみ思う。

最終章に続く。