2026-08-08

ムッツリ日本人

日本の古来のセクシャルアピールは、かなりムッツリだと思う。

うなじ。指先。袖口。
簾の向こうにぼんやり見える人影。

ほとんど何も見せていない。

一方、世界のダンスを見るとけっこう直接的だ。

サンバ、ベリーダンス、レゲエ、ヒップホップ。
もちろん性的な意味だけではないけれど、胸、腰、尻と、身体の中心を大きく動かす。

日本はその頃、何をやっていたのか。

古典を見てみると、思っていた以上だった。

『源氏物語』の「空蝉」では、源氏が女性たちの碁をこっそり覗いて、まず目を留める描写のひとつが「手つき」。しかも空蝉は痩せた手をずいぶん隠している。顔でも胸でもなく、隠している手を見ている。『源氏物語・空蝉』

「夕顔」では、女の家から出てきたのは、香を焚きしめた白い扇。その扇に花を載せて源氏に渡す。まだ本人はほぼ出てこない。女の姿より先に「残り香のついた物」が来る。『源氏物語・夕顔』

「野分」では、風で御簾が吹き上がって、普段は見えない紫の上が一瞬見える。夕霧はそこで完全に目を奪われる。ポイントは、紫の上が何か誘惑したわけではなく、風が御簾をめくっただけというところ。『源氏物語・野分』

さらにすごいのが「若菜上」。

猫がもう一匹の猫に追われて走る。
猫についていた長い紐が御簾に引っかかる。
御簾が開く。
女三宮が見える。

それで柏木の人生がおかしくなる。

原文にも御簾が「あらはに引き開けられた」とあり、夕方でよく見えないことまで惜しんでいる。その後の悲劇全部の入口が、猫が偶然めくった御簾である。『源氏物語・若菜上』 國學院大學も、この唐猫による垣間見を物語の転機として解説している。國學院大學

宇治十帖の「橋姫」もすごい。

薫が透垣の戸を「すこし」開けて見る。
霧がある。
月は雲に隠れている。

そこへ急に月が出て、琵琶の撥をいじっていた女性が、撥の向こうからちょっと顔を覗かせる。

それを見て心が動く。

胸も腰も出てこない。
霧、月、垣根、簾、琵琶、指、顔の一部。

障害物が多い。『源氏物語・橋姫』

『伊勢物語』の「筒井筒」では、浮気をしていた男が、妻も浮気しているのではないかと疑って庭の植え込みに隠れる。

そこで見たのは、誰も見ていないのにきれいに化粧をして、自分の身を心配する歌を詠む妻だった。

それを盗み見した男は妻を「限りなくかなし」、つまり猛烈に愛おしいと思って、浮気相手のところへ行かなくなる。『伊勢物語・筒井筒』

『枕草子』では、「心ときめきするもの」として、いい香を焚いて一人で寝ること、香りの染みた衣を着ることが挙げられている。

さらに男を待つ夜には、雨や風の音がしただけで「来たか」とドキッとする。

男はまだ来ていない。

音だけである。『枕草子・心ときめきするもの』

極めつきは『徒然草』かもしれない。

兼好は、恋愛というものは実際に男女が逢うことだけをいうのではない、とわざわざ書いている。

逢えなかった恋を思う。
果たされなかった約束を嘆く。
一人で夜を明かす。
遠くにいる人を想像する。

そういうものこそ「色好む」なのだという。『徒然草』137段

ここまでくると奥ゆかしいというより、もはや思想である。

見えたら完成ではない。
見えない方がいい。

逢えたら完成でもない。
逢えない方にも色気がある。

日本人はかなり昔から、情報が欠けた部分を自分で補完することに異様な熱意を注いでいたらしい。

そして面白いのがInstagramだ。

最近、一見普通のリールの中にほんの一瞬だけサービスショットを混ぜる動画をよく見る。

見えた気がする。
戻る。
止める。
失敗する。
もう一度見る。

かなり御簾である。

実際、「一瞬を止めさせる」こと自体は海外でもPerfect Pause、Pause Challengeなどとして流行していて、何度も再生して狙ったフレームで止めることそのものがコンテンツになっている。海外のPerfect Pauseの例⁠ 「Blink and you’ll miss it」と称するthirst trapも実際にあるので、日本独自の現象ではない。Instagramの例

残念ながら、この「一瞬だけ見せる性的なリール」が日本と海外でそれぞれどのくらい見られているか、比較できる統計は見つからなかった。

もし日本だけ明らかに再生回数が多かったら、かなり面白い。

平安時代は猫に御簾をめくらせ、2026年は動画を0.1秒だけ挟む。

千年かけて画面が縦長になっただけかもしれない。

考えてみると、今でも日本人はこういうものが好きだ。

浴衣のうなじ。
髪を結ぶ仕草。
髪を耳にかける。
伏し目。
鎖骨。
手。
声。
香り。
透け感。
チラリズム。

身体の中心そのものより、その周辺にずいぶん色気を配置する。

現代の日本人も腰は振るようになった。

でもその腰を振る動画の中に一瞬だけ何かを隠されると、わざわざ戻って止めている。

世界共通の直接的な身体表現を輸入した後も、その奥では案外ずっと、御簾の隙間を覗いているのかもしれない。


ダンボの肉

子供と『ダンボ』を見た。1941年。もう85年前のアニメなのだけど、見ていて妙なところに目がいった。

柔らかい。

ダンボの身体が、とにかく柔らかい。

耳だけではない。頬も、お腹も、足も、鼻も。ちゃんと中に肉が詰まっている感じがする。

座れば潰れる。
走れば揺れる。
止まれば少し遅れて肉がついてくる。

触ったら柔らかそうなのだ。



最新のCGアニメは毛の一本一本まで見える。光は反射する。皮膚の下で光が散乱する。筋肉や脂肪までシミュレーションしているらしい。

なのに、ダンボのほうが柔らかい。

これはなんなんだろう。



調べてみると、当時のディズニーは、まさにこういうことを猛烈に研究していた時代だったらしい。

現実を正確に描く研究ではない。

どう描けば、人間の目に重く見えるのか。
どう動かせば、柔らかく見えるのか。
どう形を崩せば、生きているように見えるのか。

今では「スクワッシュ&ストレッチ」などと教科書になっている技術だけど、『ダンボ』を見ると、そんな用語に収まらないくらい徹底している。

身体は平気で変形する。

曲がらない方向に曲がるし、膨らむ。

でも、その嘘によって肉を感じる。

コンピューターが物理を計算しているわけではない。人間が、人間の知覚を計算している。

考えてみれば、ものすごく贅沢な時代だったのだと思う。


1937年『白雪姫』。
1940年『ピノキオ』と『ファンタジア』。
1941年『ダンボ』。
1942年『バンビ』。

まだ長編アニメーションというもの自体が新しかった。

だから、アニメーションとは何なのか。絵はどこまで動かせるのか。音楽を絵にするとどうなるのか。生命があるように見えるとはどういうことなのか。

そんな根本的なことを、世界最高峰の絵描きたちが、会社の金で延々と実験していた。



『ダンボ』の途中には、酒に酔ってピンクの象を見るシーンがある。4分間、物語は進まない。

前年には『ファンタジア』で長編一本丸ごと実験的なアニメーシャンを作っている。


今考えると、とんでもない。



技術が進歩すると、できることが増える。

普通はそう思う。

でも実際には、

「正確にできること」が増えすぎると、
「正確ではないけれど、人間にはそう感じること」

をやらなくなるのかもしれない。


これはちょっと怖い。


技術が未熟だったから、人間が考えなければならなかった。

人間が考えた結果、現実より現実らしいものができた。

その後、技術が発達して現実をかなり正確に再現できるようになった。

すると逆に、昔の嘘に到達できなくなった。



もちろん最近のアニメーションも、その袋小路には気づいているらしい。

『スパイダーバース』などは、CGなのにわざとフレームを落としたり、パースを壊したり、輪郭をずらしたりする。

コンピューターが正しく描いたものを、人間がまた壊している。

なんだか一周した感じがする。

ただ、『ダンボ』のあの肉の柔らかさは、まだあまり戻ってきていない気がする。



これはアニメーションだけの話ではない。

写真は、どんどん解像度が上がった。

音楽は、どんどんノイズがなくなった。

建築は、コンピューターで正確に計算できるようになった。

飛行機も、自動車も、家電も、あらゆるものが高度に最適化されている。

文章までAIがかなりきれいに、書き手の文体を真似て書くようになった。(この記事も。)



懐古趣味で昔のほうが良かったと言いたいわけではない。

今のほうがいいものは山ほどある。

ただ、進歩というのは、古い能力を全部持ったまま新しい能力が追加されていくものだと、なんとなく思っていた。

実際にはそうではないらしい。


何かを獲得すると、
使わなくなった能力が消えていく。


1941年のダンボを見ていると、技術の歴史というのは一直線ではなく、ところどころに、とんでもなく豊かな袋小路を残しながら進んでいるのかもしれない、

と思う。


2026-06-24

【Xcode】Apple Watchが認識しない・デベロッパーモードが出ないとき

iPhoneへの実機ビルドはできるのに、Apple WatchがXcodeにどうしても認識されない。
Devices and Simulators を見ても PAIRED WATCHES が表示されず、Watch側に「デベロッパーモード」のメニューすら出ない。 


 ・XcodeからiPhoneの登録を解除(Unpair) iPhoneをMacから取り外す。
Xcodeのメニューから Window > Devices and Simulators を開く。
左側のリストにある自分のiPhoneを右クリックし、Unpair Device を実行。

・Cmd + Q でXcodeを一度完全に終了させる。

・iPhoneを再びケーブルでMacに接続する。
・Xcodeを起動する。 iPhoneの画面にポップアップが出るため、「このコンピュータを信頼しますか?」で「信頼」をタップし、パスコードを入力する。
・Xcodeの Devices and Simulators を確認する。

PAIRED WATCHES とマイApple Watchがある!


ここで認識されると、Apple Watchの 「設定」>「プライバシーとセキュリティ」の一番下 に「デベロッパーモード」が出ている。

2026-01-29

チープカシオの電池交換と、ボタンPUSH音無効化(A178W)

 チプカシA178Wの電池が切れた。買ったのが2008年なので、18年保った。なんてこった。


4本のネジを外して裏蓋を開けて


ここのツメを外せば電池が外れるのだが、このままじゃ外れなかった。

ムーブメントごと取り外して、電池を抑えている金属パーツを外した。

ツメが6ヶ所あった。


電池交換後、液晶画面の表示がバグったので、裏蓋に書いてあった通り

電池のプラスとAC端子をショートさせてリセットをかけた。


この2ヶ所に、針金か何かを同時に2秒ほど触れさせれば良い。

右上のACと書いた穴の中、少し奥に電極があるのでそこに。



さらにここ18年ほど悩んでいた、ボタンを押すと毎回ピっという音が鳴るのがいらないという問題。

これを無効化する方法があったが、スピーカーの無効化なので、実行すると他の音も全部消える。

私はアラームも使わないし毎時のお知らせもいらないので、実行することにした。


ムーブメントからちょこんと出てるバネ。これがスピーカーへの電極なので、

これが触れるパーツにテープを貼ればいい。(赤斜線のあたり)


これでまた10年以上使えるか。最近のマクセルボタン電池の品質次第ではある。

ボタンプッシュ音も鳴らなくなって、より愛着が湧くというものだ。

多分F-91WとかA158Wとかも同じなんじゃないかな。知らんけど。









2025-12-23

もう一度抱きしめたいと思う日を想う

君のペースでいちにちがはじまった

朝、パジャマのままテレビををみる、歯を磨かない、着替えない。

「はやくおおきくなればいいのに」と苛立ち、鼻息が荒いまま幼稚園に押し込んだ。

洗い物を片付けて、家事をして、昼飯をかき込むと、もうお迎えの時間だ。


幼稚園に向かう車の中で、ふと自分の近い将来を想像する。

君のいない静かな寝室で、あの頃の君を思うだろう。

お腹の上に足を乗せられて払い除けた夜を思い、その足が恋しくなるだろう。

つい怒鳴りつけて「もうお父さん大嫌い」と言われた夜を思い、裏側にある「お父さん大好き」に気づくだろう。

苦しくて起きると兄弟全員の頭が自分の胸に乗っていて、朝の息はちょっと臭い。けどとても心地よい重さと暖かさを思い出すだろう。

満面の笑みを自分だけに向けてくれた陽だまりを思うと、一度でいいからまたあの頃の君にも会いたいと、涙が止まらなくなる日が来ると、想像して、涙が止まらない。



君のペースで1日が終わった。

やりたいこともできず、明日の幼稚園の支度をし、永遠にゼロにならない洗濯カゴの中身をドラム式洗濯機に放り込んで寝る。

床に散乱するおもちゃ。ペンのキャップはぜんぶ色が違う。


ため息をつきながら子供をかきわけて布団に入って、自分の近い将来を想像する。

君が巣立った静かな家で、柱の傷や壁の穴、家具の落書きやシール跡を見て微笑むだろう。

かつて一緒に入ったお風呂で広々と足を伸ばし、湯気の中の笑い声と水しぶきを思い出すだろう。

散々送り迎えした幼稚園の前を、学校の前を通るたび、発表会や運動会で緊張した顔を思い出すだろう。

大好きだよと声をかけて「僕も大好きだよ」と返事をくれた夜を思い出すと、涙が止まらなくなる日が来ると、想像して、涙が止まらない。



過去を思い出して、懐かしさと後悔と、その何万倍もの幸せを思い返し、幸福に包まれる将来は実はもう約束されている。

家族を持つことは、その幸せにたどり着くということ。夫婦であるということは、山のような思い出話で1日を過ごせるということ。

遊びに行った公園も、手を繋いで散歩した裏道も、ジュースをこぼして迷惑をかけたレストランも、外を見るときは靴を脱げと怒った電車の車内も、ぜんぶ変わるかもしれない。なくなるかもしれない。

でも、あの日の思い出は、墓場まで持っていける唯一の財産だ。



君と素晴らしい景色を見て感動した日を思い出すだろう。

はじめてできたことに声を出して喜び合った日を思い出すだろう。

ランドセルに、制服に、スーツに、頼もしい成長を思い出すだろう。

本当に素晴らしい思い出をたくさん作ってくれてありがとうと心から思い涙が止まらなくなる日が来ると、想像して、涙が止まらない。


涙が止まらなくなる日が来ると、想像して、涙が止まらない。


この涙は、生まれてきた意味だ。